文章の種類の違いを意識しよう(1)

文章の種類の違いを意識しよう(1)

前回「国語は何を試す科目なのか」において、国語のもっとも大事な鉄則についてお話ししました。今回はそれに引き続き、同じくらい重要なことをご説明いたします。

それは「文章の種類の違いを知ること」です。

ここでいう種類とは、物語とか、説明文とか、論説文などのことです。(ただ後で見るように、私は違う分類法を用いていますが。)

この文章の種類の違いが重要なのは、ここを理解しないまま特定の学習法に固執すると、効果がないばかりか、時には有害な結果になることもあるからです。

下手な国語指導で、かえって点が取れなくなることがある

以前、こんなことがありました。

指導していた南女志望の、国語の偏差値がだいたい60くらいの小6の生徒が、模試でかつてないひどい点数を取ってきたのです。泣きそうになっているその子を落ち着かせつつ、原因を探るために模試の問題文と解答を見て、すぐに原因がわかりました。

「これ、本文を全部読まないで、問いと傍線の近くだけ見て解いたでしょ?」

「え?なんでわかったの!?」

その子はビックリしていましたが、何も不思議なことはありません。というのも、その文章が物語だったからです。

どういうことかご説明しますと、まず物語は構造として、多くの場合、ミスリードを誘う「伏線―オチ」構造をとっています。序盤でわざと誤解させるような伏線を出し、違う方向に読者を誘導しつつ、終盤で「実はこうでした!」と落とすパターンです。

  • 「なんか怖そうな人だな」「実は良い人でした」
  • 「親友が万引きした?」「実は別の人が犯人でした」
  • 「不思議な夢を見たな」「実は入院中に見た現実でした」

などなどです。

その時の模試の文章も、典型的なミスリードを誘う構造でした。

まず序盤で、主人公がある女の子と帰宅していると、いじめっ子たちにいじめられます。なんでこんなことをするのかと問われると、『お前ら臭いんだよ』と言われます。

ところが終盤で、「実はいじめっ子はその女の子が好きで、主人公に嫉妬していた」とわかるのです。

普通に読めば何も難しいことはない文章でした。

ところがその子は、「なぜいじめっ子はいじめるのか」の選択問題で「嫉妬している」に×をつけ、「臭いから」に〇をつけていたのです。

そこで、「これは終わりまで読まずに、途中だけ読んで解いているな」とわかったわけです。

詳しく事情を聞くと、通っている大手の塾で「国語は内容を理解しなくても解ける」と説明され、「問いを見てから、傍線部付近だけを読み、書いてある通りに解け」と言われたそうです。

その子は自分でもおかしいなとは感じていたものの、「だって傍線の近くに『お前ら臭いんだよ』ってセリフが書いてあるんだもん。」と弁明していました。

確かに「内容を理解せず、書いてある通り答えろ」と言われれば、そうなるでしょう。

その子はまさに講師に言われたとおりに答えることで、かえって実力を発揮できなくなっていたのです。

流行する「読まずに解く」やり方

これはかなり極端な例ですが、実は最近、同様の例に出くわすことがとても多くなりました。

近年ではネットが普及したことで、「国語攻略法」を唱えるブログなどが増えましたが、どうもそれらを通して「本文を読まずに解く」やり方を目にした保護者の方や経験の浅い講師が、そのやり方を広めているようなのです。

先日も、小4からずっと中学受験の勉強をしてきているのに、小6の夏になっても国語の偏差値が30台という生徒を受け持ちました。

いったいどういう状態なのか、ハラハラしつつ様子を見ると、やはり「本文を読まない」やり方で解き始めました。聞くと、通っている塾の講師にそのやり方を教えられ、愚直にずっとそのやり方を続けていたとのことです。そこで、「普通に読んでから解いてごらん」と指導したところ、数日後のテストですぐ平均点を突破しました。

去年受け持った別の小5の生徒も同様な状態で、こちらはご両親から本文を読まずに解くやり方を厳しく仕込まれたせいで、内容など一切考慮せずに、ただ書いてあることをでたらめに並べるだけの態度が身についてしまっていました。

その他、面談するお母さま方からも、「本文を読まなくても点数を取れるやり方を教えてください」とよく相談されるようになりました。

私からすればそれは「ピアノを弾かずにピアノを弾けるようにしてください」と言われているようなものなのですが。

とはいえ、難しいのは「本文をすべて読まずに問いを見て傍線の近くを見て解くやり方」が、絶対に間違っているわけではない、ということです。

大事なのは、そのやり方が合う文章もあれば、合わない文章もある、また生徒の特性や状態によって、合う時もあれば合わない時もある、ということなのです。

このことは、「問いを見て近くを見て答える」やり方に限りません。

要約をする、論理パターンを鍛える、段落ごとにまとめる、などなど、国語については様々な学習法が紹介されていますが、それらすべてに当てはまります。

文章の種類を踏まえず、ただ同じやり方を押し付けることは、かえって逆効果になることさえあるのです。

「文脈依存性」の違い

ただ、こうした文章の種類の違いについては、やはりある程度経験が無いとなかなか理解できません。

この点を理解しやすくするために、私がよく挙げるのが「冷蔵庫の説明書」「推理小説」です。次にそれについて説明しましょう。

さて、冷蔵庫やテレビの説明書ってありますよね。みなさんはそういった説明書って、最初から最後まで一気に読みますか?

まず普通はそんなことは無いと思います。買ったときにざっと目を通すかもしれませんが、だいたいは必要が生じたとき、例えば設置法とか故障時の対応とか、そうした項目を目次や索引で探して、そこだけ読めばいいですよね。

いわゆる「読まなくても良い」というのは、いわばこうしたやり方を指しています。「問いを見れば、何を聞かれるのかわかるんだから、あとはそこだけ読めばいい」というのは、つまり「冷蔵庫の説明書のように、まず目次を見て、必要な項目だけを読めばよい」ということです。説明書のように書かれた文章であれば、確かにそれで十分でしょうね。

さて、では同じことを推理小説でやりますか?つまり、目次をざっとみて、「お、面白そうだな」と思った章だけを読んでみるとか、いきなりラストシーンから読み始めるとかです。

たぶん、読んでも全然意味が分からないと思いますし、面白くもなんともないと思います。なぜなら物語は、「積み重ねていく」タイプの文章だからです。人物の経歴、過去の事件、様々な伏線、イベント・・・それらをひとつひとつ積み重ね、書き手と読み手が同じコンテクストを共有していく。そして、そうした共通のコンテクストの上で新たな事態が描かれていく。だから物語では、頻繁に省略、欠落、説明不足が生じます。したがって、特定の部分だけ読んでもそもそも意味がわからないのです。

と、いささか極端な例を挙げましたが、ここで言いたいのは、同じ文章といっても性質が全く異なるものがあり、それぞれ読み方が異なる、ということです。このことは、ある程度まとまった数の問題を分析すればすぐわかるのですが、一般にはなかなか理解されづらい所です。

要は「全体を通して読まないと部分の意味がわからない文章」と「全体を通して読まなくても部分の意味がわかる文章」があるわけです。

もう少し言えば、「全体のつながり」が強い文章と、弱い文章があるのです。

「全体のつながり」とは、言い換えると「文脈」とも言えます。

だから「文脈に依存する度合いが高い文章と、低い文章がある」とも言えます。

この点で文章を整理すると、だいたい国語で出題される文章は、大まかに以下のように分けられます。

  • 「紹介型」
  • 「なぞとき型」
  • 「対立型」
  • 「物語」

の四つです。

長くなったので、それぞれのくわしい説明は次回にしたいと思います。