国語で試される3つの力
「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」と言うように、国語を効率的に伸ばすためには、まずもって「敵」を知ること、すなわち「そもそも国語の試験は何を試そうとしているのか」を知ることが重要です。そこから逆算すれば、おのずと、今の自分に不足しているもの、これからやるべきことが見えてくるからです。
そこで様々な学校の過去問題を分析すれば、国語の試験はだいたい以下の3つの力を試そうとしていることがわかってきます。
- この言葉は知っている?書ける?・・・知識・教養力
- 日本語のルールはわかる?正しく文をたどられる?・・・文法論理力
- 筆者の言いたいことはわかった?まとめられる?・・・内容理解力
細かく言えば表現力などもあるわけですが、大きくまとめれば以上の3つが国語で試されている力です。簡単にそれぞれを説明しましょう。
まず「知識・教養力」とは、文字通り、漢字・語句・慣用句やことわざ・熟語などの知識事項、また例えば「野球は9人でやるスポーツである」「日本では目上の人には敬語を使う」といった一般常識、そして環境問題や障害者差別といった社会問題などへの教養がどれだけあるか、ということです。
次に「文法論理力」とは、日本語の文法規則に基づいて、言葉と言葉の関係(論理)を正しく捉える力、またそれを使いこなす力です。
具体的には、①文構造、②指示語、③接続関係(言い換え・対立・因果・並列)が主に問われます。出題形式としては、「この言葉はどこにかかるか」などの文構造を問う問題、指示語問題、接続語補充問題のほか、理由説明・内容説明の選択・記述問題がありますが、特に文構造と指示語については、特定の出題形式に限らず、あらゆる問題の分析に不可欠な力でもあります。これについてはまた別の所で詳しく説明します。
そして「内容理解力」とは、少し難しい言い方になりますが、「文章全体を、ひとりの人間(つまり筆者)の発語行為として、意味のある統一体として、ひとつながりに捉える力」のことです。
「要するに、筆者は何を言いたかったの?」「なんのために筆者はここでこんなことを書いたの?」「これを書くことで筆者は何を伝えたかったの?」といったことを捉え、また説明する力のことです。出題形式としては、全体の構成を問う問題、並び替え問題、そして内容理解を試す選択・記述問題などがあります。
国語は、まずは「日本語のテスト」である
さて、このように整理したうえで、まず強調しなくてはならないのは、「国語は、基本的には、日本語のテストなのだ」ということです。
言い換えると、国語はまずもって「日本語のルールはちゃんとわかってる?文章を正確にたどることができている?」を試す科目なのです。したがって、3つの力のうちもっとも重要なのは「文法論理力」だということになります。
この点は、どれだけ強調しても強調しすぎることはありません。というのも、国語が苦手な子のほとんどは、国語はもっぱら「内容理解」を試すもの、つまり「筆者が何を言いたいのかを理解し、それを答えるのが国語だ」と思い込んでしまっているせいで、点数が取れなくなっていることが多いからです。
特に文章を理解する力が高い子ほど、「読み取った内容を、自分の頭で考えて」答えようとしてしまいます。しかしそれでは国語で安定して得点を取ることができません。
「頭で考えて」答えようとすると、選択問題では、微妙にズレた誤答を混ぜられると、迷いこんで答えを決められなくなってしまいますし、記述問題では、自分の理解した内容を全部詰め込もうとするため、文章が破綻したり、まったく書けなくなったりしてしまいます。そうして、「ちゃんと読めたはずなのに点が取れない!国語はわけがわからない!」と国語嫌いになったり、自分の読みに自信を失って読むのが嫌になったりしてしまうのです。
しかし、国語はそんな複雑で高度なことは求めていません。基本は日本語のルールどおりに、「書いてあるまま・たどって・見つける」ことです。たとえ、はっきり本文に書かれてないことを答えさせるような、内容理解力を試す問題であっても、まずは「正確に日本語を捉えること」が前提となります。
「考えるな!見よ!」とは、有名な言語哲学者、L.ヴィトゲンシュタインの言葉ですが、この言葉こそ国語の最重要な鉄則を表しています。
「頭の中で答えを考える、のではなく、本文でどう書いてあるか素直に見る」こと、「自分の読み取った内容にひきずられず、文法的根拠に基づいて、書いてある通りにたどって見つける」こと、これが国語の原則であり、これを意識するだけでぐっと点数が取れるようになってきます。
「読まなくても解ける」は本当か?
さてこのように、「基本的には」国語は日本語のテストであって、真っ先に重視するべきは文法論理力であるわけですが、ここから出てくるのが、「国語は、本文を読まなくてもテクニックだけで解ける」という主張です。いわく、国語では本文の内容を理解する必要はない、問いを見て、傍線部付近の文法的根拠に適切に印をつけることで、答えを導くことが可能である、というわけです。
これまた別の所で詳しく触れたいのですが、この主張は確かに「ある程度は」当たっています。しかし、まともな国語指導とはとても言い難いものだと言わざるを得ません。
これについて詳しく説明するには、まず文章のジャンルの違いを理解する必要があります。というわけで、次回は文章のジャンルの違いを説明したいと思います。
国語はまずは「日本語のテスト」であると意識し、「内容を頭で考える」のではなく、「書いてある文字を・正しくたどって・見つける」ことを優先しよう。